凌霜第422号 2019年07月19日
凌霜四二二号目次 表紙絵 昭30経 山 口 哲 史 カット 昭34経 松 村 琭 郎
◆巻頭エッセー ホテル業界に転じて 䕃 山 秀 一 目 次 ◆母校通信 品 田 裕 ◆六甲台だより 行 澤 一 人 ◆本部事務局だより 一般社団法人凌霜会事務局 通常理事会で平成31年度事業計画及び予算など可決/今年度会費納入 のお願いと終身会費などのお知らせ/ご芳志寄附のお願い/事務局へ の寄附者ご芳名 ◆凌霜俳壇 古典和歌 ◆(公財)六甲台後援会だより(57) (公財)神戸大学六甲台後援会事務局 ◆大学文書史料室から(31) 野 邑 理栄子 ◆学園の窓 国際協力研究科のこれまでとこれから 松 並 潤 遅れ馳せての御挨拶 綿 貫 友 子 在外期間中の研究:公益事業の最適組織について 中 村 絵 里 私にとってのアメリカ留学 松 村 尚 子 ◆六甲余滴 第二の人生・生涯学習と地域貢献 佐 桒 愼 二 ◆恩師神戸大学名誉教授 故西原道雄先生を悼む 齋 藤 修 ◆山口誓子と水島銕也校長の2つの掛軸 新 野 幸次郎 ◆六甲台ゼミ紹介 経営学部・山﨑尚志ゼミ 山﨑ゼミ4年生一同 ◆表紙のことば ヒートホールン(オランダ) 山 口 哲 史 ◆学生の活動から ゼミ幹事オリエンテーション報告 中 川 凜太郎 六甲台就職相談センターでのアシスタントを通じて 中 村 洸 作 アシスタントとしての経験 中 路 実衣奈 ◆六甲台就職相談センターNOW 組織・仕事・個人 浅 田 恭 正 ◆快挙!卓球部男子、戦後初の関西学生リーグ1部昇格へ 福 田 欣 也 ◆本と凌霜人 「『日本』を伝える英語帳」「続『日本』を伝える英語帳」 小 林 仁 ◆クラス大会 三四会 ◆クラス会 互志会、しんざん会、さんさん会、三四会、山麓会、 イレブン会、むしの会、双六会、神戸六七会、四四会、 与禄会、教養11クラス会...43年入学、互礼会 ◆支部通信 東京、三重県、京滋、大阪、神戸、島根、熊本県 ◆つどい 幸ゼミ、凌霜謡会、水霜談話会、東京凌霜俳句会、 大阪凌霜俳句会、凌霜川柳クラブ、 神戸大学ニュースネット委員会OB会 ◆ゴルフ会 名古屋凌霜会、芦屋凌霜KUC会、廣野如水凌霜会、 能勢神友会、花屋敷KUC会 ◆追悼 奉仕の人、米谷収君(昭32経)を悼む 新 野 幸次郎 ◆物故会員 ◆国内支部連絡先 ◆編集後記 行 澤 一 人 ◆投稿規定 巻頭エッセー
ホテル業界に転じて 昭54経 䕃 山 秀 一
(㈱ロイヤルホテル代表取締役社長)
今年のホームカミングデイは卒業40周年と言うことで我々27回生が凌霜3学部の幹事に当たっている。同期生に連絡をつけるべく努力をしているが、卒業後に就職した企業に在籍している人はいなくなり連絡先を探し出すのに苦労している。そういう私も2年前に38年間務めた三井住友銀行(元住友銀行)を退職し、現在は株式会社ロイヤルホテルでお世話になっている。新聞記者に銀行とホテル業との違いをどのように感じているかという質問をよくされる。まだまだホテル業界を理解できているわけではないが、今感じていることを取りまとめてみたいと思う。
関西の方なら名前くらいは聞いたことがあると思われるロイヤルホテルだが、その歴史はあまり知られていない。
大正14(1925)年、当時東京市をしのぐ人口を有した大阪市は「大大阪」と呼ばれていたが、近代的ホテルはなく大阪商工会議所を中心に建設を求める声が上がる。その実現には時間を要したが、帝国ホテルの支援をうけて大阪財界の名士ら14名が発起人となり会社を設立。建物は大阪市に建ててもらい、昭和10(1935)年1月に「新大阪ホテル」という名称で堂島川畔に211室の規模で開業することになる。当ホテルの創業である。大阪大空襲、進駐軍の接収など数々の苦難を乗り越え、戦後復興期には業績も回復し、新幹線開業、東京オリンピック開催が決まると更なる大型ホテルの建設が計画される。東京オリンピックには間に合わなかったが昭和40(1965)年、現在の中之島5丁目に875室を有する「大阪ロイヤルホテル」が完成し、会社名も現在の(株)ロイヤルホテルとなった。昭和45(1970)年の万博を迎えた後、新館オープンにともない「新大阪ホテル」は営業終了するが、新館完成後の「大阪ロイヤルホテル」は1565室を有する東洋一の規模を誇るホテルになる。しかしながらその後展開した全国のグループホテルや海外ホテルはバブル崩壊後は縮小を余儀なくされ、永年に渡り非常に厳しい環境の中、バブルの処理を進めていくことになる。
住友財閥は「新大阪ホテル」開業にあたり大口出資者となり初代会長を引き受ける。財閥解体後、一旦はアサヒビールの初代社長山本為三郎氏が経営を引き継ぐが、その後堀田庄三氏が会長を引き受けて以降は住友銀行から経営陣を出している。
大きな意味では銀行もホテルもサービス業であり、一般消費者や法人が顧客であるという点も同じといえば同じである。銀行の支店や法人部という営業現場で起こっていることは、日々ホテルで起こっていることと似ている。そういう意味では銀行員生活の8割方を現場で過ごしてきた自分にとって職場に違和感はない。しかしながら経営という目線で考えると、当然ながら大きく違って見える。
当ホテルはグランドホテル型という業態で、主要な事業部門として、宿泊、宴会、ブライダル、レストランの4部門がある。それぞれ業種的には違うので当然競争相手も顧客も違ってくる。例えばRRH(リーガロイヤルホテル)大阪では宿泊部門一つとっても、VIP用の100万円の部屋からキャビンクルーに提供している1万円クラスの部屋まで55タイプ1000室以上の部屋がある。即ち、富裕層から一般顧客まであらゆる層の方々にご利用頂いているし、用途もビジネスシーンから観光まで幅広い。それでいてこの宿泊部門の売上げは全体の3割しかない。宿泊部門売上が少ないのではなくて他の部門の売上が大きいのだ。他にも、ホテル製品の販売、ヘルスクラブやスイミングクラブの運営、阪大病院や茨木カントリークラブなどのレストランの受託運営、テナントの運営なども業務としている。この様なホテルがグループホテルとしてあと4つある。要するにホテル業として一括りで語るには無理があるし、部門毎に議論を始めるとキリがない。小さな街を運営している気にさえなってくる。銀行も関連業務は多いが金融という範囲を出ることはない。
もう一点は営業の仕方である。銀行の場合は、強力な営業力を背景に、企業価値を上げるためのソリューション提案を続けることで顧客から対価を得る。営業目標の数字があり、そこに向かって全員が邁進していく。ところがホテルではその考えは全くそぐわない。なぜならホテルの業績は外部環境に依存する割合が極めて高いからだ。例えば地道に受注を積み上げていっても、自然災害やパンデミックが発生すると容赦なくキャンセルになる。そもそも為替や経済環境、地政学リスクで受注環境が一変する。逆にオリンピック・パラリンピックや万博などの大きなイベントは我々の実力以上の特需をもたらす。ホテルの目標を数字に定めると外部要因に振り回される。結局のところ、我々の提供するサービスの質を高め、ブランド力を強化していくことでお客様の満足感を充足させ、それに対して対価を頂くというビジネスモデルになる。
当ホテルは「食のロイヤル」と言われているように食へのこだわりは大きい。特に西洋料理に関しては、毎年中堅シェフを二人ずつ6カ月間フランスへ料理留学させている。帰国後は高級フレンチの「シャンボール」やオールデーダイニングの「リモネ」などのレストラン部門だけでなく、宴会やブライダルの調理部門でも働いてもらっている。ホテル全体の料理の質はこうして維持されており、当ホテルの宴会料理が高評価を頂いているのも当然である。また、料理部門、バーテンダー部門、サービス部門などの各種コンテストでの優勝者や受賞者は毎年数多く輩出している。我々の提供するサービスの質に関しては十分に一流と言っていただける水準にあると思っているが、難しいのがブランド力である。80年を超える歴史はハード面だけでなくブランドの劣化も進行させている。また我々のブランドを支えてくれたお客様も高齢化が進み、一方で若い世代へのアピールも十分にできていない。何をどのように発信していくのか自信が持てなくなっている。そこで改めて外部のアドバイスも頂きながらブランドの再構築に取り組むことにした。
基幹ホテルであるRRH大阪は建築後50年が経過している。建て替えも視野に入る中、当時の資料を紐解き、関係者に話を聞いて当時の建築コンセプトを検証してみた。日本を代表する建築家吉田五十八氏の設計に基づき世界に通用するホテルを作ろうと、いたるところに日本の伝統美が散りばめられていることが分かった。広大なフロアには「万葉の錦」というテーマで手織りされた段通のカーペットが敷き詰められており、その重厚感と美しい彩を楽しむ。目に入るのは太い柱に金蒔絵という手法で施された藤原時代にみられる美しい金の鳥模様である。更に進んでいくとメインラウンジの奥に滝が見えてくる。ラウンジの床には平安貴族の栄華を象徴する曲水の川が流れており、雲間を抜けていくような柱を見上げると、そこには「紫雲のシャンデリア」が輝いている。ホテルに入ってこられたお客様をお迎えするのにこれだけのストーリーがあったのだ。メイン宴会場の「光琳の間」には江戸時代に活躍した尾形光琳の「八ツ橋」の緞帳、「山楽の間」には安土桃山時代の狩野山楽の「吉田龍田の図」の西陣畷織がかけられている。ホテルバーの「リーチバー」では、柳宗悦の民芸運動に協力したバーナードリーチの着想が再現されている。絵画も、藤田嗣治、平山郁夫、小磯良平、岡本神草などの作品が普通に飾られてある。まさにあらゆる時代の日本の文化や伝統、工芸がこのホテルには集約されていた。当時、一流ホテルと言われた所以である。
すっかりホテルの宣伝になってしまったが、実はこのホテル自体が我々の求めるブランドそのものであった。永年に渡って営業を続けているので改装もしているし、手入れも行き届いていない。職員の中にもこのホテルにこれだけものものがあることを知る人が少なくなっている。我々のアイデンティティを取り戻すべく、まずはロビーのカーペット「万葉の錦」の復刻からリ・ブランディングをスタートさせる。案内板の統一、フレグランスによるブランディング、ユニフォームの改定、ホームページやインスタグラムの刷新など、ブランドのバージョンアップにも取り組み始めている。これだけ競争が激しい時代に50年前の思想が通用するのか確信がある訳ではない。しかしながらこのブランドに磨きをかけることで新たな価値が生まれ、そのことが多くの顧客や従業員から支持されると信じている。先人たちの残してくれた無二のホテルが再び輝きを取り戻すことに残りの社会人人生をかけていこうと思っている。
筆者略歴 昭和31年7月生まれ。昭和54年神戸大学経済学部卒業、同年㈱住友銀行入行。平成26年㈱三井住友銀行代表取締役兼副頭取執行役員、平成27年同行取締役副会長。平成29年㈱ロイヤルホテル代表取締役社長。
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