凌霜第389号 2011年04月28日

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凌霜三八九号目次

◆巻頭エッセー 日中韓3国関係と共同災害支援体制 木 村   幹
◆母校通信                         田 中 康 秀
◆六甲台だより                        吉 井 昌 彦
◆理事長からのメッセージ11
 未曽有の大災害に遭遇して                高 崎 正 弘
 「新しい凌霜会への歩み(その5)」
◆学園の窓
 国際協力研究科長就任あいさつ              駿 河 輝 和
 「鶴甲の子ども」                      島 並   良
 「神戸大学ミクロデータアーカイブについて」       宇南山   卓
 日本企業の利益調整行動                首 藤 昭 信
 「この国を出よ、そして戻ってこい」           波 田 芳 治
◆凌霜俳壇  凌霜歌壇
◆六甲余滴 イスラム異聞?
      ―ヨーロッパ製の色眼鏡をはずせ!―     絹 巻 康 史
◆ベルカン・ノート 歓迎! 新入生!            朝 田 恵 太
◆第2回凌霜準会員セミナー 高士神戸新聞社長が講演 一 木   仁
◆リレー・随想ひろば
 中国に於ける言論の自由メディア            中 辻 德兵衛
 アメニティ2000協会                   谷 本 雅 憲
 最近思うこと                        垂 水   薫
 失敗から学んだこと                    濱 田 晴 子
 インドの経済発展に想う                 福 味   敦
◆本と凌霜人 「老舗学の教科書」            山 縣 康 浩
◆追悼
 福田晋三君を偲ぶ                     植 松 尚 三
 巨星 枡田圭兒君の逝去を悼む              長 尾   悟
 植村達男君を偲ぶ                     熊 谷   清
◆定時会員総会開催公告


<抜粋記事>

◆巻頭エッセー
 日中韓3国関係と共同災害支援体制
          国際協力研究科教授 木 村   幹(かん)

 3月11日、宮城県沖でM9・0という、近代日本史上最悪の地震が発生した。直後に発生した巨大津波が太平洋岸を襲い、海岸地域は甚大な被害を受けた。
 突如、日本を襲ったこの事態に、国際社会も敏感に反応し、多数の国が日本への支援の意思を表明した。中でも素早い動きを見せた国の1つは韓国だった。韓国政府は即日、日本の外務省に当たる外交通商部の報道官が震災に対する「深い哀悼と慰労」の意を発表し、併せて、救援隊などの派遣準備があることを明らかにした。救援隊の第1陣は翌12日には早くも日本に到着し、その規模は2日後には100人を超える規模に拡大した。
 韓国における日本への支援の動きは政府レベルだけに留まらなかった。韓国のマスメディアは市民に広く日本への支援を呼びかけ、宗教団体や市民団体もさまざまな運動を展開した。日頃は歴史認識問題などで、日本を非難する「反日」運動諸団体までもが、積極的な支援活動に取り組んだ。例えば、日頃は「独島(竹島)防衛」などを掲げて、反日市民運動を繰り広げる「活貧団」は、震災被害者を支援する市民組織を結成し、キャンペーンを行った。従軍慰安婦問題で日本政府を非難する「勤労挺身隊のおばあさんと共にする市民会」も、「日本が国家的災難を早期に収拾し、賢明な形で克服していくことを望んでいる」との声明を出している。
 もちろん、韓国からの支援は阪神・淡路大震災においてもなかった訳ではない。当時、韓国政府は早くも震災翌日、医療チームと復旧協力要員の派遣を日本政府に申し入れている。しかし、当時の日本政府はこの韓国からの申し入れを3日間にわたって店(たな)晒(ざら)しにした挙句、事実上拒否することとなっている。被災地では、深刻な医師不足が発生していた頃の話である。その最大の理由は「受け入れ体制の不備」であった、と言う。阪神・淡路大震災においては、中国政府も紅十字社を通じての支援を申し入れたが、やはり日本政府は人員の受け入れは拒絶するに至っている。結局、当時の日本政府が中韓両国から受け入れたのは、限定的な物資の支援のみに留まった。
 対して、今回の震災において、日本政府は海外からの支援申し入れに迅速に対応し、韓国、中国を含む、多くの国からの人的・物的双方のさまざまな支援を積極的に受け入れた。その意味では、災害時の近隣諸国との連携は、かつてとは比べものにならないほど円滑なものとなっている。
 しかしながら、それでもこの状況を見ながら、筆者には忸(じく)怩(じ)たる思いが1つあった。何故なら、日中韓3カ国の間では、中国の四川大地震の後、より本格的な災害共同支援体制の構築について話し合われた時期があったからだった。しかしながら、その後、この議論は下火になり、実質的な支援体制の構築には至らないままで、今回の震災に至っている。東アジアの大国である日中韓3カ国の協力体制が出来ていれば、今回の震災に対しても、あるいは、より迅速で適切な対処ができていたのではないか、と思うと残念で仕方がない。
日中韓3カ国の災害共同支援体制構築失敗の原因の1つは、各国世論の相互の軍隊に対する拒否反応だった。今回の震災でも明らかになったように、大規模な自然災害後の救援・復旧活動において、巨大な人的資源を持ち、惨事に早期に対応可能な能力を有する軍隊は、大きな役割を果たすことになる。しかしながら、依然として過去の歴史に関わる問題を抱える東アジアでは、「過去の象徴」とも言える、互いの軍隊に対する反発は根強いものがある。例えば、筆者はある国際会議で、韓国からの代表が次のように言うのを直接耳にしたことがある。「災害時における隣国からの支援は歓迎すべきものだ。しかしながら、わが国においては、過去の歴史的経験から、中国の人民解放軍や日本の自衛隊を受け入れることは難しい」。
 だが、このような状況はもちろん、望ましいものではない。例えば、今回の震災で再び体験したように、災害直後に第1に必要になるのは、被災地への迅速かつ大量の人的資源の投入である。生き埋めになった被害者の生存可能性が、72時間を境にして大きく変化することに現れているように、大規模災害直後の救援活動を如何にして速やかに開始できるかは、多くの犠牲者の命に直接関わる問題である。そこにおいて、支援活動に当たる人々の国籍や「旗の形」に拘(こだわ)る事には意味がない。
 もちろん、ここにおいて災害直後の混乱した現場に、現地に不慣れな外国からの救援隊が多数入る事で、事態がより混乱する可能性がある、という指摘には耳を傾けるべきものがある。実際、阪神・淡路大震災において、日本政府が韓国や中国からの人員派遣を拒否する理由として挙げたのも「受け入れ体制の不備」にほかならなかった。
 しかしながら、このような問題は、災害共同支援体制の構築において、事前にシナリオを用意し、それぞれの役割分担を明確にしておけば、かなりの部分を回避することができる。例えば、今回の震災に際して韓国の救援隊は、現地での救援活動に備えて自ら通訳を伴ってやってきた。このように言語の問題1つとっても、各国が、あらかじめ、緊急時における相互支援のために準備を整えておけば、問題は大きく改善されるであろう。非常時に備えて、利用できるボランティア通訳などの名簿を用意しておくのもその1つである。もし、現地で救済活動に直接当たることが難しければ、物資や人員の運搬やインフラの復旧活動など、後方での支援活動に当たって貰ってもよい。実際、このような災害時の共同支援活動は、実は東アジアの3カ国の地理的近接性を最も効果的に生かせる部門でもある。
 例えば経済の問題を考えてみよう。今日、東アジア各国の互いへの経済的依存度は確実に低下しつつある。1970年代、韓国の貿易に占める日本のシェアは40%近かった。しかし、現在その数値は10%余りにまで低下している。同じことは日中関係についても言うことができる。中国経済における日本の地位は、低下の一途をたどっている。
 時に誤解されるように、この現象は日本経済の低迷の結果によってのみもたらされたものではない。重要なのは、グローバル化が「各国あるいは各個人にとっての国際社会における選択肢の増加」を意味している限り、その進展に連れて、近隣諸国の重要性は確実に低下する、ということである。地理的に離れた地域との交流が容易になれば、地理的に近接した地域の重要性が低下するのは、必然である。
 しかしながら、災害時における救援活動においてはそうではない。先にも述べたように、災害時、特にその直後において重要なのは、如何に多くの人的資源を被災地に迅速に送り込むかにほかならない。そのような状況においては、どんなに良好な国際関係を持ち、また優れた人的資源を有する国であろうと、遠く太平洋、あるいはユーラシア大陸を挟んだ諸国からの支援には、多くを期待できない。だからこそ我々は、我々の手に余る災害については、近隣諸国に頼るしかない。そして、このような災害共同支援体制の構築は、各国間の相互関係を強化するためにも効果が大きい。例えば、日本はこれまで中国に多額の援助を行ってきたが、そのことは中国国内であまり知られていない。「お金に名前が書いていない」以上、自らの経済発展において日本からの経済援助がどの程度重要な役割を果たしたかを、彼らが実感することは難しいからだ。人は月10万円の給料が11万円に増えたとしても、それは自分の労働への当然の対価だと思うだけだろう。また、仮に誰かのお陰で自らの収入が増えたことを知っていても、それが彼らの生活を直ちに劇的に変えなければ、それに対する感謝の思いを持ち続けることも難しい。
 しかし、災害時における救難活動は相手に顔が見える。瓦(が)礫(れき)の山の中から救出され、壊れかけた我が家にしがみついて漂流する中を助けられた人達は、自らを助けた人々のことを生涯忘れることはないだろう。自ら命の危険を賭して救難に当たる人々の姿は、さまざまなメディアを通じて人々に伝わるに違いない。そして我々はそれにより、不必要に互いを誹謗中傷し、傷つけあうことが、如何に自分達自身の利益にならないかということを理解することができるだろう。
筆者略歴
1966年、大阪府東大阪市生まれ。京都大学法学部卒、大学院法学研究科修士課程修了。愛媛大学法文学部助手、講師、神戸大学大学院国際協力研究科助教授などを経て、現在、同教授。『近代韓国のナショナリズム』(ナカニシヤ出版)など著書多数。


◆理事長からのメッセージ 11
  未曽有の大災害に遭遇して
 「新しい凌霜会への歩み(その5)」
         社団法人凌霜会理事長 高 崎 正 弘

 あの忌まわしい東北関東大地震から、早くも旬日が過ぎようとしています。この間、直接の被災地の皆さまは申し上げるまでもなく、さらに広範囲にわたって、首都圏においても日増しに被害の大きさが明らかになってきています。マグニチュード9・0の激震が引き金となった大津波・原発事故による未曽有の大災害の実相に、言葉を失うばかりです。
 私自身、阪神・淡路大震災当時の神戸駐在責任者であったこともあり、震災直後の万般にわたる混乱、復興に向けての息の長い苦闘を、思い出したところです。また今回は、地震発生の2日後に上京する機会があり、各交通機関の不通・停滞で通勤、通学に難渋される方々の姿を目の当たりにして、この一事だけでも首都圏での影響の大きさも実感しました。
 神戸大学では、逸早く激震地の岩手、宮城、福島3県の出身在学生53人の安否を追い、可能な手段を尽くして、約1週間後には「全員の無事を確認できた」と発表されました。まずは安堵した次第ですが、この空前の大災害は、多くの方々の尊い生命を奪い、また、平穏な日常生活を破壊しました。
 謹んで亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、この会誌が皆さまのお手許に届く5月初旬までには、少しでも事態が好転することを、切に祈念申し上げます。

◇ところで、2月に皆さまのお手元にお届けしました会誌「凌霜388号」をご覧になって、お気付きになられた方も大勢いらっしゃると思いますが、前号より、「ベルカン・ノート」の欄がスタートしています。「ベルカン」てなに?と、ご存じない向きも多いかと思いますので、前号の記事の中からその一部をご紹介します。
 ベルカンとは、法学部、経済学部、経営学部の3~4回生のゼミ幹事を中心に構成された組織で、現在約100名が在籍し、「神戸大学活性化」という活動理念のもと、年間を通じて学内・外でさまざまなイベントの企画・運営などの活動を行っています。毎年7月に行われる「七夕祭」や「ホームカミングデイ当日の各種催し」などがその代表的なものです。ベルカンの正式名称は「六甲台学生評議会」で、その愛称は“B.E.L.STUDENT COUNCIL(Business, Economics ,Law)の頭文字”からきています。名前の通り、神戸大学唯一の社会科学系学生組織で、我々凌霜会と根っ子を同じくするものです。
 新しい凌霜会への移行に向けての最大の課題が、会員・会費収入の増強、なかんずく、近年急速にその存在感が高まりつつある準会員の皆さんとの連携強化であることは、これまで幾度となくお伝えしてきました。この「ベルカン・ノート」欄も、準会員の皆さんに、凌霜会の一員であることを実感していただくきっかけとなればとの思いで、前号より新設したものであります。既にスタートしています卒業生による準会員向けセミナーに加えて、凌霜会と準会員の皆さんとの絆を更に強固なものとするツールとして、紙面の一層の充実を期待しています。
 さて、去る3月22日、役員会が開催され、平成23年度事業計画、同予算案が承認されました。これによって、先に文部科学省にお約束した「翌年度計画は3月中に役員会で決議し、新年度入り前に同省に提出する」態勢を整えたところであります。同役員会においては、一般社団法人への移行後の凌霜会の新しい定款はじめ諸規則・規程案も併せて議論されました。これらの案をベースに、内閣府との細部の協議・微修正を経て、移行認可申請書に添付する最終案を、5月の役員会及び総会に諮ることが承認されました。
 新法人運営の憲法ともいうべき定款案は、13章54条及び附則から成り、民法改正後の経過措置により特例民法法人に位置づけられている現凌霜会は、解散登記の前日をもってその歴史を閉じ、一般社団法人凌霜会の設立登記日を新法人の門出の日とすることが附則に定められています。100年の歴史を有する現凌霜会の新しい門出に参画できる喜びの一方で、諸先輩がこれまで流された汗と積み重ねられた歴史の重みを考えた時、一抹の寂しさを禁じ得ないのも事実であります。新法人の門出を齟齬(そご)なく飾ることで、これまでの諸先輩のご尽力にお応えしたいと決意を新たにしているところであります。
 今後の移行過程をイメージしていただくために、一つのモデルをお示ししますと、移行認可申請後、認可を受領するまでの所要日数に読めない点は残りますが、およそ以下のように想定しています。
 23年5月会員総会にて移行認可申請の承認→同7月移行認可申請 →同12月~24年春移行認可取得→現法人解散及び新法人設立登記 →新法人第1期スタート→24年3月31日新法人第1期年度末→同 4月1日新法人第2期スタート
 なお、定款内容の詳細なご報告は、内閣府との事前打ち合わせに続く会員総会での承認後に譲らざるを得ませんが、現在予定している主要なポイントは以下の通りであります。
① 会員には、この法人の経費を賄うため、会費支払いの法定義務があり、会費の支払いを2年以上履行しない会員は会員資格を喪失する。ただし、資格喪失後の会費支払いにより会員資格を復元できることとする。
② 正会員が多数に上るので、代議員制を採用し、正会員100名におよそ1名の割で選任される代議員(現在の正会員数からすれば、70名前後)を法律上の社員とし、社員総会は代議員によって行う。代議員選挙の方法などは、別に定める「代議員選挙規則」による。なお、社員総会は理事会とは異なり、法律によって書面による議決権の行使が認められている。
③ 社員総会で選任された理事によって理事会が組織され、理事会は理事過半数の出席が成立要件となっている。なお、理事の理事会への委任出席、代理出席、書面表決は法律上認められていない。これを受けて、理事数を現在の20~25名から新定款では10~15名に縮減する。
④ 現法人の最終決算をもって確定される「公益目的財産額」は、法律の定めるところに従って適正に費消し、毎事業年度末ごとにその残額を確認する(この資産は、法律により、公益目的事業への計画的支出か、公益法人・地方自治体・国への寄付にその使途が限定されており、新法人の主たる業務である同窓会事業は、その対象外であります。公益法人の立場で積み上げてきた資産の使途が、一般社団法人への移行に伴い制限されるのは止むを得ないことではありますが、健全な同窓会事業の展開のために、毎年度の収支の安定、それを支える会費収入増強の必要性がますます高まって参ります)。
⑤ 必要に応じ、理事会の決議により従たる事務所を置くことができる。
 以上のように、公益法人制度改革への現凌霜会としての対応は、登山に例えれば7合目近くに至ったと思っていますが、いよいよ胸突き八丁を迎えます。引き続き頂上を目指して、関係者全員スケジュールの着実な消化に全力を傾注する覚悟でございますので、変わらぬご理解とご支援をお願い申し上げます。