自分が熱中できることをとことんやる

伊藤忠商事ヤンゴン事務所
平5経 高橋 正基


 希望に胸を膨らませ、神戸大学に入学したのが昭和六十三(一九八八)年。今、考えてみれば、まさにバブル絶頂の時でした。四回生の時、一年間休学しバックパッカーをしていましたので、卒業は一年遅れて平成五(九三)年となりました。いずれにせよ、卒業して十年。あっという間に過ぎ去ったという感じですが、その間、就職、結婚、転勤、出向、海外駐在、そして二人の子供に恵まれるなど、考えてみれば、非常に多くの重要な出来事のあった十年でもありました。皆さんの少しだけ先輩として、自分の経験から得たいくつかの教訓をまとめてみました。皆さんにとって、多少なりとも参考になれば幸いです。

 その一「自分が熱中できることをとことんやる」
世の中は変わってきています。大企業も大銀行もバンバン潰れる時代が来ました。つい十年前には考えられなかったことです。こうすれば必ず成功が約束されるといった絶対的な資格もなければ、絶対安全な安住の地もありません。そういう世の中でどうやって生きていったらいいのでしょうか。私が自分なりに考えた結論は、「自分の心が弾むようなこと、心から熱中できることをとことんやる」ということです。他人から見ると、「あの人はすごい努力をしている」と感心するようなことでも、熱中している本人にとっては、それは努力ではなく、単に楽しいからやっているだけなのです。熱中している人のすることは、自然に魂がこもり、不思議と人を感動させていくものです。義務感はもちろん大切ですが、義務感のみを心の拠り所として厭々ながら仕事をする人は、結局のところ、本人にとっても、周りにとっても不幸に終わることが多いようです。特に今は、日本人と同じ内容の仕事を、それよりはるかに安い給料でやりますという人々が世界中に増えており、普通に勝負したのでは勝ち目はありません。ちなみに、ここミャンマーでは、縫製工場の女工さんの月給は約千八百円です。(時給ではありません、月給です)好きなことだけやってメシが食えるか、というご批判もあると思いますが、今の時代は好きなことをやっても、嫌いなことをやっても、メシが食えるかどうかは結局のところ分からない時代です。だったら、無理して嫌いなことをするより、心から熱中できることをやった方がずっと気持ちいい。また、何かに思いっきり熱中できた人は、それが成就しなくても、次に熱中するものを見つけることができるものです。学生時代のうちに、是非できるだけ多くのことにチャレンジし、自分は何が好きなのか、心が弾み自然に熱中してしまうことは何なのか、いろいろ試してみて下さい。間違っても、この資格を取っておけば就職に有利だからとかいうしょうもない打算で、嫌な思いをして無駄な勉強をしないことです。
(資格を取ることが趣味だとか、資格を目指し勉強している自分が好きとかいう人なら結構ですが)

 その二「人行かぬ道に花あり」
人と違うことをやれば、成功するチャンスが高いということです。株や相場のことわざですが、私も人生のあらゆる場面で実感してきました。例えば、人と生活する時間をずらしてみる。朝八時に通勤電車に乗れば、電車も混んでいて座れないし、新聞も読めない。夜八時から飲みに行けば、料金も高いし、お客も多いのであまりサービスも受けられない。それが、朝五時に電車にのれば、空いているし、座ってゆっくり新聞も読める。夕方五時から飲みに行けば、ハッピーアワーで酒代も安いし、お客も少ないので店の人もすぐ覚えてくれる。また、学者の世界でも、「私はアメリカ経済の専門家だ」などというと、多くの競合相手がいてその世界でメシを食っていくのは大変だが、「ミャンマー経済の専門家」くらいならほとんど競合相手がいないので、意外と重宝されたりするものです。この手の話は、例を上げればキリがありませんが、皆さんも実社会に出れば、実感されることと思います。

 その三「最後は体力だ」
物事を成就させるためには、体力が要ります。いくら頭が良くても、体力のない人はなかなか成功できません。私も特に海外駐在をしてから強く感じることですが、海外での仕事はなかなか思い通りに行きません。そもそも全く違うバックグラウンドで育ち、違う言語を話し、違う文化を持った人間が一緒に仕事をする訳で、大きなストレスを感じることしばしばです。そういう時、特に体力が落ちている時は、そのストレスに耐え切れず、問題が問題を呼ぶ悪循環に陥りやすいのです。逆に体力があり、心が充実していれば、ストレスに負けることもなく、問題もひとつひとつ解決できる。学生時代から体を鍛えておくことは、非常に重要だと思います。
最後に「やっぱり今の日本人は恵まれている」
私が卒業した十年前とは日本の経済状態も違い、皆さんは就職も大変かもしれません。なかなか就職口が見つからず、自分はアンラッキーだと思われることもあるかもしれません。そういう苦しい時に思い出して欲しいのは、「それでもやっぱり今の日本人は恵まれている」ということです。ここミャンマーでは、未だにインターネットも解禁されていませんし、自由に海外旅行をすることなど、一般の人はまずできません。日本のようにその気になれば、何でも揃い、情報も取れる。パスポートも誰でも取れ、誰でも海外旅行ができる国はそうありません。また、その日本にしたところで、つい六十年前までは戦争でした。何の罪も無い、未来ある多くの若者が、数多く命を奪われたのです。ちなみに、私は広島出身で、伯父は十三歳で被爆し亡くなりました。私は仕事でも何でも壁にぶつかり苦しくなると、いつもその伯父のことを思い出すのです。そしてこう思い、我に返るのです「こんな悩みなど全然大したことはない。ア~、危ないとこだった」と。

凌霜 357号掲載文(2003年5月)より