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新着情報

2024年7月9日
会誌「凌霜」

凌霜第442号

 

凌霜四四二号目次

 

表紙絵 昭34経 本 間 健 一

カット 昭34経 松 村 琭 郎

 

◆巻頭エッセー 選別されるわが母校   高 士   薫

目 次

◆母校通信   松 尾 貴 巳

◆六甲台だより   行澤一人、鈴木 純、清水泰洋、四本健二、村上善道

◆本部事務局だより   一般社団法人凌霜会事務局

3月通常理事会/5月度通常理事会

ご芳志寄附者ご芳名とお願い/事務局への寄附者ご芳名

凌霜会創立100周年記念式典開催

◆(公財)六甲台後援会だより(77)

◆大学文書史料室から(51) 幻の「赤松城跡」と神戸大学   野 邑 理栄子

◆学園の窓

一年間のサバティカル・リーブでの研究生活   勇 上 和 史

着任にあたって   柴 田 潤 子

防災教育を通じて神戸〜東北〜世界をつなぐ   桜 井 愛 子

経営学から考える「講義のコスパ」   砂 口 文 兵

戦後の卒業アルバムと学内メディアで見る「ここが変わった神戸大学」   住 田 功 一

◆六甲アルムナイ・エッセー

アパレルから医師そして献血   櫻 井 嘉 彦

時代は二刀流を求めている   樫 野 孝 人

企業法務部門のリアルを伝える「ワークショップ企業内法務」   籔 内 俊 輔

◆凌霜ネットワーク

神戸大学サムライ凌霜会   堀 井   史

◆表紙のことば 旭光の渓谷   本 間 健 一

◆六甲台就職相談センターNOW

面接の神髄~素の自分~   浅 田 恭 正

◆凌霜ひろば

凌霜会創立100周年記念式典に参加して   四 谷   實

「凌霜」441号を読んで   朴   孝 明

◆クラス会 東京互志会、しんざん会、さんさん会、イレブン会、

むしの会、神戸六七会、四四会、与禄会

◆支部通信 東京、浜松、三重県、神戸、播磨、広島、

愛媛県、福岡、熊本県

◆つどい 竹の子会、ホッケー部、水霜談話会、

大阪凌霜短歌会、東京凌霜俳句会、大阪凌霜俳句会、

凌霜川柳クラブ、神戸大学ニュースネット委員会OB会

◆ゴルフ会 廣野如水凌霜KUC会、茨木凌霜会、

西宮高原ゴルフ倶楽部KUC、芦屋凌霜KUC会、

花屋敷KUC会

◆追悼 〝真面目人間〟兼吉淳二君(昭30法)の逝去を悼む   天 野 昭 信

◆物故会員

◆国内支部連絡先

◆編集後記   行 澤 一 人

◆投稿規定

<巻頭エッセー>

選別されるわが母校

神戸新聞社相談役

 高 士   薫(昭50法)

(凌霜会理事)

 アリーナを若い男女が黒っぽく埋め尽くしていた。2022年4月5日、神戸ワールド記念ホール。ステージ中央の演壇から見渡すと、会場の最奥がかすんで見えるほどの広さに思えた。大学院を含め、およそ4,000人の新入生が居並ぶ神戸大学の入学式だ。私は記念講演に立った。

演題は「きら星の神大卒業生 あなたも」。企業など各界のトップに立つ出身者を、お目にかかった範囲内で実名を挙げて紹介した。いわば私家版の現代神大列伝だ。「きら星の…」としたのは、そう呼ぶにふさわしい先輩、後輩がいらっしゃればこそ可能になった、入学式へのご祝儀である。

さて、きら星の数と輝度はこれからも保てるのか。保てなくなるのでは、と私は懸念している。

 

進んだ均質化

神戸大を、もどかしい思いで眺める凌霜人は多いことだろう。社会科学系の最高学府は、東に東大、一橋、西に京大、神大なのである。少なくとも昔、大阪の高校生はそう思っていた。私は1971年の入学だが、受験校の選択を迫られた大阪での高校3年生当時、「神大は近経(近代経済学)、京大はマル経(マルクス経済学)だ。やっぱり近経がいいかなあ」などと、経済志向の同級生たちは悩んでいた。神大の方が、難易度が幾分低いことと兼ね合わせての志望校選択だった。

最高学府評価には列島各地から異論が聞こえてきそうだが、ともあれ偏差値による輪切りのない、国立も一期校、二期校と2グループに大別されるだけの、競争は厳しいけれどおおらかな時代だった。今と違って私立大に対する国立大の優位ははっきりしていたし、その国立でも当時の大阪大は文系学部の歴史が浅く、文系の級友たちの間では、ほとんど話題にもならなかった。

その後、偏差値による大学選択が一般化し、学問分野ごとの評価より、大学の看板を重視した進路選択が幅を利かせるようになった。それに伴って学生の質が大学ごとに均質化するのはなにも神大に限ったことではないが、関西では京阪神3大学が並立するだけに、学生の均質化は全国でもまれなほど進んだと見ていいだろう。

 

選択と集中のすえ

推進した中心人物が「あれは失敗だった」と述懐を残して亡くなり、当事者たちで組織した団体の長がやはり「失敗だった」と言ってのける。

国立大学の法人化である。先の人物は東大総長、文部相を歴任した有馬朗人さん、後の人物は作家の小川洋子さんが「ゴリラのボスみたい」と評した前京大総長、前国大協会長の山極壽一さんだ。

2004年に実施され、この春20年を迎えた。国立86大学の学長を対象にしたある新聞社の調査でも、回答した学長の7割が、「悪い方向に進んだ」と答えている。

この間、まず国がしたことは、国立大学運営の基礎になってきた運営費交付金を減額し、大学が競い合って獲得を目指す競争的経費に置き換えることだった。何を競わせるのか。文科省が示す政策メニューに、どれほど熱心に取り組むか、をである。

そして法人化以降、「中期目標」なるものが6年ごとに文科省から示されるようになった。その第2期が始まった2010年当時、文科省が示す国立大学法人の類型は「大規模大学(13大学)」「中規模病院有大学(24大学)」「医科大学(5大学)」など、外形に基づくシンプルなものだった。神大は順当に、「大規模大学」に区分された。

全国37大学が指定された「スーパーグローバル大学」の選考に漏れるという14年の衝撃は脇の話としておこう。16年から始まる第3期で文科省は、類型分けで踏み込む。外形でなく、研究力を問うたのだ。文科相を震源に文系不要論も飛び交っていた。国立大は3層に区分された。最上位は「海外大学と伍して卓越した教育研究、社会実装を推進する国立大学」とされ、16校の名が並んだ。神大も含まれている。

そして17年、「指定国立大学」制度が創設される。19年までに、指定順に東北、東京、京都、東京工業、名古屋、大阪、一橋の7大学が選定された。その後、筑波、東京医科歯科が追加され、21年に九州を加えて計10大学となった。追加はもうないと見られている。

文科省が設けたハードルを神大は超えられなかった。申請もできていない。北海道も同様だった。旧帝大の一角が崩れたと言われ、総長は学内向けの説明に言葉を尽くした。

 

「指定」と「地域中核」

22年に始まる第4期で選別の次元が変わる。国立大学は5層に細分化され、グループ内で評価を競い合う構図になった。神大は北海道、千葉、東京農工、金沢、岡山、広島と共に「グループ5」に区分された。「主として、卓越した成果を創出している海外大学と伍して、全学的に卓越した教育研究、社会実装を推進する取組を中核とする国立大学」というのが文科省の定義だ。同文に「…のうち指定国立大学」と続くのが「グループ4」。最上位となる指定10校である。グループ4といい5といい、上下関係と無縁な命名は、それが歴然とすることへの煙幕とも読める。

俗にいう10兆円ファンド。大学基金の支援を受ける国際卓越研究大学の指定だ。23年、まず東北大が選ばれた。大学界に衝撃が走った。国際卓越研究大学は国立では指定10校による競合であり、神大は埒外に置かれた。

一方で、10校以外の大学を対象に文科省は「地域中核・特色ある研究大学」という概念を用意し、大学を提案者とした研究や施設整備などを支援する振興策を始動させた。23年末、第一陣として国公私立12大学の取り組みが指定を受けた。競争率は6倍に達したが、神大は広島大と連携し「バイオものづくり共創研究拠点」形成の取り組みでこの支援の対象となり、関係者を安堵させた。

国際卓越研究大学に対する支援額は一校あたり年に最大数百億円、「地域中核…」は一件あたり5年間で最大55億円。後者でさえ今の国立大学にとっては垂涎の的なのだが、2桁に近い差が将来に生む格差は想像に難くないだろう。

 

逆境をはね返す力

神大は理系がコンパクトなため、経済経営研究所以外に付置研究所や共同利用・共同研究拠点がなく、大学の基礎体力ともいえる運営費交付金の額で古くから広島大に及ばず、国立大学の中でいつもほぼ11番目だ。

それでも社会的には、旧帝大に一橋、東京工業、神戸を加えた「難関国立10大学」という評価を受けてきた。文科省が下すのとは違う位置づけを、私たちの先達が営々と築き上げてきたのである。

「失敗」の末に激しい選別に走ったかに見える文科省は今、神大を大学群の第2集団に区分けした。それが定着していく意味は、きっと重いのだと思う。

260万 200万 110万 75万人

団塊の世代、第2団塊の世代、23年春の18歳、23年の出生数。それぞれ1年間に生まれた人口である。

18歳人口は18年後、今春の7割にも満たなくなる。団塊の世代に比べるとなんと3割にも届かない。しかも、これからさらに減る。すでに私立大学の過半が入学者の定員割れを起こしているが、大学定員を相応に削減でもしない限り、二番手以降の大学は、たとえ定員を満たしてもレベル低下の穴にはまり込んでいく。私立に対する国立の優位性はすでに損なわれ、一極集中によって首都圏の大学が水準を上げている。

逆風ばかりだが、母校の先生方の受け止めはさまざまなように見える。国立大学の危機という認識に加え、とりわけ「神大の危機」と理解する人、抗いようがないと諦める人、悲観している人、あまり関心がない人…。

そうした中で、危機感を強く持つ藤澤正人学長を先頭に、日本を代表する研究分野を育て、少しでも国の予算と外部資金を獲得し、学生、院生を育て、神大の浮揚を図ろうと努める教職員がいらっしゃる。均質化しつつもレベルの高い学生がいて、応援団になれる卒業生がいる。

神大の良さを私は、ことさらエリート視されることなく、反骨と負けん気を力に豊かな人間関係を築けることだと思っている。入学式では、その良さを生かして「てっぺんを目指そう」と呼びかけた。「てっぺんに立てば、麓では分からない風を感じることができる」と。いい大学だと思う。

てっぺん領域を回復し、さらに増やす。志高く汗をかくそんな営為の積み重ねに、きら星輝く希望を見出したい。